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服部さん「時計」じゃなく「音楽」と言われなきゃ


作曲家の服部克久(はっとり・かつひさ)さんが、11日午前8時42分、心不全のため、都内の病院で亡くなった。83歳だった。父服部良一さんの偉業を引き継いだ音楽界のサラブレッドとして、ヒット曲の作曲や編曲を数多く手掛けたほか、テレビ番組を音楽で彩るなど、各方面で活躍し、日本の音楽シーンの発展に尽力した。

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巨匠ぶらない、気さくな人柄で「ひょうひょう」と音が聞こえそうな物腰だった。23年前、ご自宅にうかがっての取材の最後に「絵作り」のためピアノを弾いて欲しいと願うと、快く応じてくれた。後日、「いい写真だ。譲ってください。遺影にするから(笑い)」と気に入ってくれた。が、実際に作、編曲する時にピアノは使わなかった。「手間がかかるし、ピアノの幅でしか書けない。実際にはいろんな楽器を鳴らすんだから、頭の中で鳴らすしかない」。父良一さんも同じ手法だったという。だから、服部家では楽器の音が一切鳴らない日が多々あった。

全盛期は1年に3000曲以上を手掛けた。「カヒロン」という強壮剤を飲んで徹夜で曲を書き、昼間に録音する日々だった。最新の機械が好きで、他にも夜通し起きている人を求めて、警察無線をキャッチした。「夜中に警察が呼ばれる理由は夫婦げんかか駐車違反なんだ」と、音楽以外の話も盛り上がった。

連日の作業は壮絶で、過労で3度吐血した。必死で頑張った背景には、父の口癖があった。「服部は時計(セイコー)じゃなくて音楽の服部と言われなきゃ」。その年、ニューヨークの国連本部に招かれ、日本人で初めて総会会議場でコンサートを行った。国際電話で感想を求めると「珍しく緊張しちゃったよ」と、やはり巨匠らしくないコメントだった。【久我悟】


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